ドイツの歌曲や詩が日本語に翻訳して紹介されるようになったのは明治時代以降です。日本へのドイツ語詩の普及に貢献した人物のひとりとして森鴎外がいます。ドイツに留学していた鴎外は、たくさんのドイツ語詩を翻訳しました。
ドイツ語の詩を翻訳するにあたって、鴎外はさまざまな工夫をしています。翻訳法として、以下の4通りを想定していたようです。
(1) 意訳 ・・・ もとの詩の意味を訳詩にも反映させる
(2) 句訳 ・・・ もとの詩で使われている字句を訳詩にも反映させる
(3) 韻訳 ・・・ もとの詩で使われている韻の踏み方を訳詩にも反映させる
(4) 調訳 ・・・ もとの詩で使われている発音のリズムを訳詩にも反映させる
特に韻訳 と調訳は、単に詩の内容を訳すだけではなく、もとの詩の韻の踏み方やリズムも翻訳に反映させようという挑戦的な試みです。
とはいえ、ドイツ語や英語は、日本語とはまったく違う言語構造・発音形態であるため、いわゆる西洋詩を日本語に直接翻訳するのはほぼ不可能なことです。
そこで、鴎外は、ドイツ語の詩を、日本語ではなく漢詩に翻訳するということを試みました。当時の文化人はみな漢文の素養がありましたので、もちろん鴎外も漢詩に精通していました。
実は、漢詩と西洋詩には似たようなルールが存在します。具体的には、漢詩の押韻と西洋詩の脚韻はとても似ています。また、漢詩の平仄法と西洋詩の母音の韻律(リズム)規則も、似たような着想から生まれています。以下で簡単に説明します。
漢詩の押韻は、主に句の末尾で韻を踏みますが、これは西洋詩の脚韻(ドイツ語: Endreim)に似ています。例を挙げると・・・
春眠不覺曉
處處聞啼鳥
夜來風雨聲
花落知多少
Ich hab im Traum geweinet,
Mir träumte, du lägest im Grab.
Ich wachte auf, und die Träne
Floß noch von der Wange herab.
孟浩然の『春暁』では、2行目と4行目の鳥(ちょう)と少(しょう)で韻を踏んでいます。一方、ハインリッヒ・ハイネの「Ich hab im Traum geweinet」でも、2行目と4行目の Grab と herab の「rab」で韻を踏んでいますね。
漢字は、発音に基づいて「平字(ひょうじ)」と「仄字(そくじ)」の2種類に区別されます。漢詩では、平字と仄字を一定のルールに従って並べます。例えば、
国破山河在
城春草木深
(赤い漢字=平字、青い漢字=仄字)
一方、ドイツ語や英語の詩には母音の強弱のルールがあります。西洋詩では、強い母音と弱い母音をを一定のルールに従って並べます。
Am Brunnen vor dem Tore,
Da steht ein Lindenbaum:
(青い母音=弱い、赤い母音=強い)
杜甫の『春望』の1行目は、仄仄平平と、仄字と平字が2つずつ並んだ後、仄に戻ります。2行目は、平と仄が正反対になっていますね。
Wilhelm Müllerの『Der Lindenbaum』では、弱強弱強・・・のリズムがずっと続いています。このリズムは、アイアンブと呼ばれます。詳しくは、リズムの話 をご参照ください。
並べる順序のルールには違いはあるものの、発音の強弱に規則を持たせるという意味では、漢詩も西洋詩も同じ発想です。
森鴎外をはじめ、明治時代の翻訳家の工夫とインテリジェンスには本当に感心しますね。森鴎外の訳詩は、『君よ知るや南の国』(ミニョンの歌)でも紹介しましたので、ぜひお読みください。
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以上です。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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